2018年




ーーー7/3−−− 剣道家の情熱


 
久しぶりに会った旧友と、軽いハイキングをした。山道を辿りながら、お互いの近況などを話した。

 友人は若い頃やっていた剣道を、十年ほど前から再開したと言う。町の剣道サークルに所属し、日々の稽古に参加し、子供たちの指導などもしているそうである。会社勤めをしながらそういう活動をするのは、大変なこともあるだろう。しかし、企業社会に閉じこもるより、幅広い人間関係が持てて、有意義に違いないということは、彼の話しぶりから察せられた。

 私にとって剣道は、中学校の体育の時間にちょこっとやっただけで、ほとんど全く縁がない。その時、防具を着けていても、面を打たれると脳天に響いたことだけが、記憶に鮮明に残っている。それを友人に話したら、下手な者に打たれるほど痛いのだと言われた。

 何事も同じであろうが、剣道も道を究めるには相当の精進を要するそうである。端的な例として話してくれたのは、こんな事。上位者と対戦すると、それがかなりの年配者で、見たところヨボヨボの爺さんであっても、手も足も出ないというのである。全くスキが無く、逆にじわじわと壁際に追い込まれてしまうと。そういう感覚は、門外漢の私には分からないが、凄い世界だという事は、伝わってきた。

 剣道サークルの合宿などで、宴会が持たれる事がある。そういう時は、真夜中まで、剣道の話が熱く語られるそうである。もちろん年配者も多いのだが、技術的な事から精神的な事まで、よくも話題が尽きないと思うほど、延々と語り合うらしい。会員の皆さんの、剣道にかける情熱は、並々ならぬものなのである。

 そのように情熱を傾けて取り組む趣味(趣味という表現は適切ではないかも知れないが)を持っている人たちを、ちょっと羨ましく感じたりする。私もどちらかと言うと、趣味の多い人間だと思う。しかし一晩中語り明かすほど情熱を注ぎ込んだ世界は、残念ながら持ち合わせていない。

 友人は、剣道には段位があるので、それが励みとなって精進を支えるのだろうと言った。なるほど、そういうものなのかと思う。考えて見れば、そういうものに無縁だったのも、私の人生であった。




ーーー7/10−−− 手作り飛行機大会


 以前テレビ番組で手作り飛行機大会というのを取り上げていた。米国でのイベントである。と聞いて、別に何も感じなかった人には、あらためて驚いて頂きたい。これは模型飛行機ではなく、人が乗って空を飛ぶ飛行機の話である。

 日本だったら、自分で自動車を作って公道で走らせることすら、ほぼ不可能らしい。技術的には実現できるとしても、法律的にハードルが高く、現実的ではないそうである。

 米国では、飛行機を自分で作って飛行を楽しむ人々がいるのである。番組で取材したイベントでは、全米各地から大勢のマニアが参加していた。もちろん自作の飛行機で飛んで来るのである。会場の広大な土地には、色とりどりの飛行機が並び、オーナー(製作者)どうしが楽しげに交流をしていた。

 主催者へのインタビューがあった。米国といえども、当初は規制が厳しくて、飛行機の自作は認められなかったそうである。しかし関係者の忍耐強い努力の末、当局も次第に耳を貸すようになったと言う。正しく設計をし、製作をすれば、自作の飛行機でもちゃんと空を飛ぶことができ、しかも安全性にも問題が無いということを、様々な資料とデータを使い、時間をかけて説得したそうである。ライト兄弟の、世界最初の飛行機も、自作だったではないか。

 その努力の根底には、自作飛行機に対する強い情熱があったという。自分で思い通りに飛行機を作り、それに乗って自由に空を飛び回る楽しさを、なんとか実現したいという情熱である。危険に対する世の批判も当然あっただろうが、「自分の命が掛かっている事を、人は軽々しくやりはしない」という論拠で、仲間内から啓蒙していったとか。

 国土が広い米国だから可能な事だとは思う。しかし、夢を描き、その実現のために工夫をし努力をするプロセスには、国土の違いを越えて教えられるものがあるように思う。




ーーー7/17−−− 百人一首の色


 鎌倉時代や平安時代などの古い時代では、色に関する表現が現代ほど普通には使われていなかったそうである。青と緑の区別も曖昧だったとか。あるテレビ番組でそのように述べていた。

 以前このコーナーにも書いたが、数年前から百人一首を覚えることにした。それは今でも続いている。トイレに暗記カードを常設し、座りながらゆっくりと反復練習をする。今でも続いているということは、覚える一方で忘れて行き、いまだ完全な状態ではない事を示している。

 そのように普段から百人一首と関わっているので、色の表現についても引っかかった。つらつら思い出して見ると、たしかに色を表現している歌がほとんど無いように思われた。そこで、百首全てを調べてみた。

 歌の中に使われている色は、白、黒、紅の三つだけであった。緑、黄色、紫、橙など有っても良さそうな気もしたが、一つも無かった。白は六首、黒と紅はそれぞれ一首ずつであった。

 白の六首のうち、ほとんどは「白雪」、「白露」といった慣用句、あるいは「白妙」のような枕詞である。また、黒も「黒髪」という熟語だから、特に色を意識した使い方ではない。

 というわけで、色を特定するために色を示す単語が使われている歌は、以下の三つだけということになった。

 * かささぎの 渡せる橋に おく霜の 白きを見れば 夜ぞ更けにける

 * 心あてに 折らばや折らむ 初霜の をきまどはせる 白菊の花

 * 千早ぶる 神代もきかず 龍田川 からくれないに 水くくるとは

 ちなみに「からくれない」というのは、濃い紅色のことである。

 ところで、白は無彩色という位置付けだから、色彩を表現した歌は、百人一首の中に「からくれない」の一つしか無いということになる。これはちょっとした驚きであった。

 空が青く美しい、木々の緑が清々しい、夕日が赤々と燃えている、などという表現は、現代では一般的であるが、古人はそういうことをしなかったのかも知れない。空は青色、木の葉は緑色、夕日は赤色と決まっているから、色の名を付け加える必要も無いということだったのか。色を示す単語を使うことは、イメージを制限することになり、表現上の奥ゆかしさに欠けるとされたのだろうか?




ーーー7/24−−− 象嵌の小箱


 
前々回の「木の匠たち展」で工芸家のK氏から勧められ、象嵌と漆を手掛けるようになった。それについては、2014年11月の記事に書いた。あれから4年あまり。紆余曲折、試行錯誤を重ねながら、少しずつ前へ進めてきた。

 作品は主にブローチやペンダントなどのアクセサリー。象嵌加工の価値を理解してくれ、魅力を感じてくれる人が、一定程度の割合で存在し、買ってくれるなら、採算性は悪くないと踏んだ。アクセサリーといえども、完成度を高く作るのはそれなりの技術が要り、熟練を要する。誰もが簡単に真似できるものではない。採算はさておいても、私にとって十分にやりがいのある仕事だと思っている。

 昨年の秋に、ふとしたことから象嵌を施した箱を作ってみようと思った。箱はそれだけでも、製作にも漆塗りにも手間がかかる。それに象嵌の装飾を施すことが、どれほどの付加価値になるか。採算という点では、見込みが薄いように思われた。しかし、やってみたいという欲求がムラムラと高まった。本業である注文家具製作の合間を縫って、いわば道楽のつもりで取り組むことにした。

 ポイントは、箱を構成する板に直接象嵌することである。糸鋸を使った象嵌技法は、私の知る限り、小さな木片に象嵌を施し、その部品を対象となる木部にはめ込むというものであった。箱を装飾するなら、蓋なり側板なりに象嵌した部品をはめ込むというわけである。それはそれで、美しい装飾となるものであるが、直接板に象嵌をすれば、別の雰囲気が得られるのではないかと思った。もちろん糸鋸のサイズに制限されるから、あまり大きな箱は作れない。小箱程度のものが目標である。

 板に象嵌をすると、裏面に加工の跡が残るので、覆って隠さなければならない。その問題を解決するため、天板、側板ともに裏面に共材を貼り付けることにした。そうなると、木口が不自然になる。そこで、側板を四方留めで組み、天板も留めで入れることにした。さらに側板の下端には縁取りと同じ材を貼り付ける。そうすればどこからも木口が見えない構造となる。天板を留めで固めると、側板との伸び差が心配になる。そこで共材を貼り付ける際に、間に木目を交差させた板を挟んで、合板構造にすることを考えた。そうすることにより、狂いに関する不安は大幅に解消される。

 アイデアはまとまったが、これまでそのような構造の箱を作ったことは無い。象嵌装飾以前の問題として、箱がちゃんと組み上がるかという課題があった。加工法を検討して、試作を繰り返し、箱の製作には確証を得た。残された課題は、象嵌だけである。

 最初の箱は、簡単な象嵌模様にした。確証を得たと言っても、本番でどんなトラブルが生じるか分からない。箱が組み上がらなければ、象嵌は無駄になる。そこで簡単な模様にしたのである。この箱は、うまく出来上がった。漆塗りの仕上がりも良かった。これなら、もっと手の込んだ象嵌模様にすれば良かったと、欲が出た。

 二番目の箱は、同じサイズだが、かなり面倒な象嵌模様にした。この加工は大変だった。いつ終わるとも知れない作業が延々と続いた。作りはじめて半年以上経って、ようやく象嵌加工が終わった。もちろん毎日そればかりやっていたわけではない。注文仕事を優先させるので、作業が止まったまま月日が経つときもあった。ほとんど忘れそうになり、モチベーションが消失しそうになるという、言わば危機的状況にも陥った。それでも、なんとか自分を励まして、五枚の板に象嵌をやり終えた。

 板を組んで箱にし、漆塗りを施した。いずれも、一瞬たりとも気が抜けない、緊張の作業である。なんでこんなに辛い思いをしなければならないのかと、自分に問うような日々だった。不慣れな分野のプレッシャーというものは、概してこういうものである。

 出来上がりは、正直言って完全に満足が行くものではなかった。それでも、全力を投入した充実感はあった。これが現在の私の実力である。これをさらにレベルアップできるかどうかは、今後の「やる気」にかかっている。 

 製品を動画に撮ったので、ご覧下さい→  https://www.youtube.com/watch?v=BUs0ZlwUyZQ




ーーー7/31−−− 組織を食い物にする輩


 
集団の中には人の言うことを聞かない者がいるものである。独自の見解を持ち、全体に流されず、はっきりと意見を述べて議論をし、それによって集団に新しい意識が吹き込まれる、と言うような立派なことなら良い。 たいがいは、はるかに低次元のもの、つまり当人が我を通したいだけ、全体の利益などお構い無しに、自分本位の利益や快感を追い求めたいだけのもの、というのが多い。

 組織においても同様である。階層が上の者に対して、下の者が言う事を聞かない、あるいは勝手な事をやり、ひいては全体を牛耳ろうとする。そういう不穏分子をのさばらせないための規律というものは、組織の中に準備されているはずである。しかし、そういう輩はパワーバランスの感覚に長けている。人の弱みにつけ込んだり、情報を操作したりして、ガードを固める術を心得ている。部外者から見れば「何故?」と感じるような理不尽が、隠された相関図の元に堂々と行われるのである。

 そういう輩の行動パターンの特徴は、全てを独り占めにして隠すということである。本来は組織全体で共有すべき情報や知見を、こっそり自分だけで溜め込む。そんなことまで、と呆れるほどマイナーな事であっても、必死に隠そうとする。その目的は、ひとえに自分が周りに対して優位に立つ事である。しかし、そういう事の積み重ねはあなどれない。断片的な情報を独占することにより、いつの間にか上役をしのぐ存在になるのである。そうなると、規律に基づく制裁は無力である。よくある「お局様」誕生のプロセスである。

 こういう人たちを見ると、人間も競争原理に支配された動物なのだと思う。とにかく周りを蹴落とし、自分がのし上がることだけに執念を燃やす。そういう風にしなければ、生きている実感が湧かないのかも知れない。それも遺伝子に組み込まれた性なのか。

 当人は思い通りにやれてご満悦だろうが、組織にとって有益なものでは無い。また、周囲の者は不快な気持ちにさせられる。当然その人の評判は落ちる。評判を落としながら暮らすのは辛かろうと思う。しかしそういう人は、他人の評判など気にしないのであろう。むしろ悪く思われるくらいで初めて、自己の存在が確認できるのだろうか。







→Topへもどる